早川x深山
Chapter1 1日目
1日目 ― 深山 真白 → 早川 大空 以下交互
(既に何人かの人は部屋から出て行ってしまっていたようだ。あとは蹲っている人やその人に声をかけている人、など。
この部屋には自分の求めているものはないだろうと彼らを軽く一瞥してから、振り返る事なく大広間の扉を押し開けた。
扉を抜け出た先は廊下。目先には階段や部屋の扉などが目に入り、どこに何があるのかはわからない以上少しだけ二の足を踏んでしまう。
大きな布……と、思いつつ。あまり気は進まないが手元の腕輪を廊下に立ったまま操作してみる。自分の情報が教えてもいないのに中に確りと入っているのは相当に嫌な気分だが、今は一旦置いておいて地図に目を通す。)
下の階のランドリーか、救護室辺りか……。
(あとはすぐ下の個室か…なんて一人考えて。)
恐怖心と冒険心が軽いジャブを打ち合い、恐る恐る大ホールから外に出てみる。開けたところを不意打ちで襲われる……などと言うことはなく、トラップが起動し壁から何かが飛んでくる……などと言うこともない。恐怖心の助長した嫌な予想は一切合財外れ、思ったよりもすんなりと通路に出ることができた。
乗船口、と昨晩聞こえた気がしたが、ここは船の中なのだろうか。一言一句違わず何かに書き記したわけでも、寝起きで聞いた言葉を事細かに記憶できるほど記憶力がいいわけでもない。聞き間違いだろうか。
考え事をしながら歩いていたのが不味かったのか、立ち止まっていた青年の背に激突してしまう。
「へぶっ」
間抜けな声をあげてよろめく。人に当たったとわかったのは、存外痛くなかったからだろう。小さいからか運がないのか、人にぶつかられることはままあるがぶつかってしまうことはあまりない。しかもぶつかった方がよろめく軟弱さ。男として負けた気分で胸が満たされる。うっかり涙が出そうだ。
「すみません、ぶつかってしまって。大丈夫ですか?」
しかし、敗北感にまみれようがこちらがよろめいていようが、不注意でぶつかってしまった。鼻頭を手で押さえながら申し訳なさそうに声をかけた。
……っわ。
(背に当たった感触から人にぶつかられたのだとわかり、思わず声が漏れた。
非常時に気を抜いてしまったことに少し反省しつつ、後ろをのっそりと振り返り。)
……僕は大丈夫だけど。
キミは随分痛そうだね。
何かを急いで探していたの、其れとも誰か?
(突っ立っているやつが何を言う、と突っ込まれてしまいそうだが。
平坦な返答をしながら振り返った深山の?は先程の返り血で汚れており、服にも多少飛んでしまっている。感情の振れ幅のあまりない声音と表情に其れは不似合いな程、非現実的な有様だった。)
「血っ」
悲鳴の代わりに裏返った声が出た。振り返った人物の顔や服に血がついているB級ホラーでも出尽くしたようなどっきりを、振り向き様に見せられたのだから悲鳴もでる。元々肝が座っているようなたちでもない。
驚いて、怪我なのかと焦るが、よくよく見れば拭ったような痕がある。恐らく飛び散った血を乱雑に拭ったのだろう。あまり衛生面に頓着しない方なのか、顔にでないだけなのか、それに対して不快であるような素振りはない。
「あ、いや、あの……俺は平気。考え事してただけ。顔のそれ、怪我とかじゃないよね?」
びっくりした拍子に、思わず敬語を置いてきてしまう。元々子供を相手にする仕事だからか、念のため心配そうに問いかけるその声音や口調は柔らかい。
…血……ああ、これか。
(彼の裏返った声をぽかんとした顔で聞く。
指摘されて先程の返り血の事を思い出して、そろりと自分の?に触れると既に乾いた感触がした。)
これ、さっきの子の血。
僕、彼女からそんなに離れてなかったんだよね。だから僕が怪我をしている訳ではないよ。
……あの子に……何かを被せてあげようと思って大きめな布を探しに出たんだけど、場所わからないから“コレ”見てたの。
(手についた乾いた血を眺めながら彼女の末路を思い出す、とりあえず自分は無傷だと言う事を淡々と返すと。
彼の優しげな柔らかな声音に、少し絆されたのかこれからの行動をぽつりと口にすれば指先で“コレ”と腕輪を指差して見せて)
彼自身が触れたそばから赤黒い粉のようなものが溢れている。言っている通り、昨晩の返り血なのだろう。 一先ずほっとして肩の力を抜く。
「そっか、よかった。へぇ、この腕輪って案内図にもなるんだ……」
命に関わると知って下手に触るのが嫌で、放っていた腕輪に視線を向ける。自分とは違って物怖じしなさそうな様子の青年に、すごいなぁ、と思わず溢す。
「あのね、俺も同じ理由で出てきてたんだ。何かここ怖いし、一緒にいってもいい?」
腕輪から視線をあげて、青年を見上げる。それからハッとして、今更ながら右手を差し出す。
「……と、その前に忘れてた。俺は早川大空。小児科医見習いなんだ、よろしく」
それだけじゃないよ、自分の名前……個人情報もその中に入ってた。よくよく調べてみれば?あんまり気は進まないだろうけどねェ。
(興味深そうに腕輪を見る彼を見ながら言葉を続ける。自分だってあまり気は進まなかったのだ、然し触らざるを得ない状況だったが故に調べたまで……余計に気分は悪くなったが。)
僕は深山真白、あまり自己紹介は好きじゃないんだけどこんな状況じゃあそうも言ってらんないよね。まァヨロシク。
僕と同じ理由って……ふぅん…一緒に行くのは別に構わないけどさ。キミ優しいんだね、もしかして彼女と知り合いだったの?
(ヨロシク、と差し出された手に、きっと挨拶の握手だろうと控えめに触れた。確りと握れなかったのは元々交流は得意ではないのと、自分の手には血がついてしまっているからで。
次いで彼から述べられた、彼が此処に来た理由に質問をしながら首傾げ。自分と同じように顔見知りか、若しくは知り合いなのだろうか。)
個人情報保護法など知らぬ存ぜぬとでも、高らかに宣言するような事実に心が遠くに行きかけたが次いだ質問に縫い止められる。おぞましい事実は一先ず目の前の路線から避けておこう。見なければならない現実とはいえ、精神衛生上とても、ものすごく、非常によろしくない。
法に守られているものの中身が呆気なく暴かれる気分は、とても最悪だ。
さておき、彼女と知り合いだったのかと言う質問だ。乾いた血の感触は背筋をぞわりとさせたが、握り返してくれた手を一度しっかりと握ると離した。ひび割れた皮膚のような感触が、掌の中に残っているような気がした。
「全然知らない子だよ。でも、あのままにしておくのはかわいそうだから」
当人が望んでそうなったわけではない。なのに、そのおぞましくされてしまった姿のせいで悼まれるよりも先に嫌悪され、怯えられ、恐れられるなど、悲しいことだ。自分はどうやってもあの姿を見ながら心から悼むことは出来ないだろう。そんな自分が嫌で、自分のように悼めない人が少しでも減ればいいと思うがゆえに、せめて無惨に爆薬で引き裂かれた血肉を覆い隠せればと行動したのだ。
その感情をすべて言葉にすると、つらつらと長ったらしくなってしまう。だから、ただひとこと「かわいそうだから」とありふれた言葉で表した。
……ああ、そうなの、カワイソウ…。
やっぱりキミも優しいねェ。彼女も優しくて人のいい子だったよ……なんて、僕もたった一度会っただけだったけど。
(特に感情を揺らすこともなく淡々と返す。
元々他人に興味はないのだ、それでも、例えばこれが見ず知らずの他人だったとしたらば、自分は態々動こうとは思わなかっただろう。絶対に。あの時は何も思わずに別れただけだったのに故人になってしまった途端に彼女との出会いが今、思い出されてしまうのは、死があまりにも唐突で無惨だった所為。
考えを振り切るように手元の腕輪を操作すれば、)
…さて、じゃあ、行き先を決めようか。
先ずココ、一階のランドリー。それかすぐ下の個室、このどちらかにシーツがあると思うんだけど。どう?
(と、話しながら指先でMAPを示して)
「君だって人がいいと思うよ。たった一度しか会ってないのに、こんな状況でその人のために何かをしようとしているんだから」
見るからに自分より背丈が高い相手だったが、子供を褒めるように口にしていた。素直に褒めることに抵抗感がないのは、就いた職のお陰なのか、それともそういう性質だったから今の職がしっくり来るのか。卵が先か鶏が先かだ。
にっこりと笑ったあと、振られた話題に真剣な顔をする。よく他人に顔に出やすいと言われる早川である。今ここは安全かもしれないが、どこにどんなものがあるのか全くわからない以上、矢鱈目鱈に動き回ると危険かもしれない。
「それなら、個室から見て回ろう。あとで俺たちも使う場所だろうから、下見も兼ねてってことで」
人差し指を立てて提案し、どうかな?と深川に返す。
(人がいい?言われた言葉を頭の中で反芻させたけれど、自分とその言葉が全く結びつかなくて。
眉間に薄ら皺が寄り不思議そうな、何とも形容し難いような変な顔になってしまったに違いない。普段は褒められる事なんてなかったから、褒められるとどんな反応をしていいかわからない。
とりあえずそんな事ない、と否定するように二、三度頭を左右に振ってから、彼の視線から逃れるように腕輪に視線を落とした。)
……うん、わかった、個室の方だね。
下見って考えが完全に頭から飛んでたみたい。確かにこれから一番使う部屋だしね、じゃあ適当な部屋を調べてみようかァ。
(言うや否やさっさとMAPを閉じてしまうと、踵を返して階段へと向かい始める。
道中危険なことは何にもなさそうではあるけれど、多少は警戒している為に歩く速度はあまり早くなく。問題がなければ下の階に到着し、近くの個室の前に辿り着くだろう。)
深川の眉間にうっすらと寄った皺の意味を図りかねている内に、当人がさっさと歩いていってしまうものだから慌てて後を追う。歩いていれば気づくことがある。例えば、のんびり歩いていても歩幅に差があるんだなぁとか、羨ましいほど背が高いだとか、自分よりも足が長いだとか。下らないことを考える。下らないことを考えていないと、異常な空間に自分がいることの恐怖に心がじわじわと潰されてしまうからだ。
これといって会話はなかったが、息苦しさはなかった。お互い進む道に気を張っていたからかもしれない。就いた先の個室に二人で入れば、状況に似つかわしくない至って普通の個室が用意されていた。いや、普通であることこそが不気味極まりないのだが。そこは考えないようにする。
「普通の部屋だねー……。ベッドのシーツを剥がすのは最終手段として……予備のシーツがあればそれを持ってこうか」
(入った感想は至って普通の部屋。
とりあえずは人の気配もないようなので息を長く吐き出した。
部屋の中があまりにも普通だから感覚が麻痺してしまいそうだ。暫くゆったりとした緩慢な動作で辺りを見回した後に。ベットへとずかずか近づいていき、いきなりシーツに手をかけたが彼の言葉に動きを止めて。)
ああ、予備……そっかァ…。
これ剥がしたら寝るの困るよね。でも予備って何処にしまってあるんだろ。
クローゼットとか、ベッドの下?
(なんて見当もつかぬまま首をかしげる。見えているものを探すのがちょっと面倒くさくなってしまった元来の性格故。必要ならばこれでいいだろ、という何とも安直で怠惰な考え方である。
然し、確かに予備があるならばそれを探した方がいいだろうと剥がそうとしたままで多少乱れてしまった寝具から一旦離れて。)
ごくごく自然とベッドに手を伸ばし、今にも剥がさんとする勢いだった深川を見て早川はほっとした。先に言っておいて良かった。意外と思いきりがいい行動をするんだなと深川についての見解を深めつつ、物がしまってありそうな場所を探していく。
「あ、見て!ほら、予備があったよ深川くん」
クローゼットに収納されていた段ボールの中に、ビニール袋に入っている真新しいシーツがあった。それを引っ張り出して、よかったねぇ!と嬉しそうに深川に報告する。正確な人数は把握できていないが、この建物の中には結構な人数の人がいたはずだ。もしも予備がなく、シーツをひっぺがされたベッドを責任とって使わされることになったら……とまで想像していた。心からのよかったねぇだった。
……ほんとだ。あった。
へェ……こういうのはちゃんとしてるんだな。
(あった、という声に反応して側に寄っていけば後ろから手元を覗き込む。
よかったねぇ、という彼の嬉しそうな声を他人事のように聞きながら、其れでも一応は相槌を打つようにこくこくと頷いた。
真新しいシーツに触れて、少しだけ口元に笑みを浮かべると。)
じゃあ、これでいいか。
後はこれを上に持って行って……、えーとあと他に何か気になる事、ある?
僕としては、如何にも普通の部屋だなって感想しか抱けなかったんだけど。物があるのは有り難いけどさ。
(本当はもっと机をひっくり返したりベッドの下を確認したり……なんてやった方がいいのだろうけれど。それは一人の時間の時にでも大丈夫かなぁなんて考えながら。)
「他に、他にかぁ……」
うーん、と少し悩む。入ってみても何が起こるわけでもなかったし、変な臭いや変なものが置いてあったりはしていない。詳しく調べていないが、詳しく調べなければ何もないのなら、普通に過ごす分には何も問題はない部屋と言うことになる。
「俺はないかな。もっと調べたいと思ったときに、もう少し調べてみるよ。今はもうこんな時間だから……やることを済ませて、少しは休まないと」
疲れたでしょ?と後ろの深川を見上げて言う。あれからだいぶ動き回ったからか、それともぼんやりしている時間が長かったからか、もう夜分遅くになっているようだった。時間感覚が狂いそうになるが、何とかそこは時計を確認しつつで管理していかなければ。
そう、だね。
流石に色々な事がありすぎたし。
とりあえず頭の中整理したいってのもあるけど、少し寝たいかな。
(疲れたでしょ、と見上げられると何だか気が緩んでしまって眉が少しだけ八の字に下がってしまうから。一歩後退して視線を早川からすす、とずらす。
どうにもこういう柔らかいような優しい対応に弱い。そういえば小児科医見習いだとか言っていたし、だからかなぁなんて考えつつ。)
……じゃ、キミももうないなら早く済ませてしまおうか。
(用がないならさっさと向かおうと予備のシーツを自分も手に持てば、上に向かう為に個室を出ようと。)
「うん、行こうか」
先に行ってしまいそうな背を慌てて追いかける。何だか追いかけるのがいたについてきたと言うか、慣れてきたと言うのか。どのくらい必要になるかわからないからとりあえず各々一つずつシーツを抱えて個室を出た。
やはり道中でこれと言った話題もなかったが、先を急いでいたのもあって特に気にすることはなかった。深川は口数が多い方ではないし、早川は疲れていたから。
戻ってきた大ホール、さすがに少しは目にいれる覚悟はしていたが、戻った二人を待っていたのは血塗れの床だけだった。多少肉片は残っているものの、二人がシーツを被せようと思っていた姿はどこにもない。
「あ……え?あれ?」
思わず戸惑いの声が口を突いて出た。
──いないね。
(血溜まりを黙って見下ろすと、彼の戸惑いの声に返すように一言だけ述べた。
再び広間に入る時にはそれなりに覚悟して入っただけあって、遺体がない事に気付いた時には変に気が抜けてしまっていた。血は残っているし色濃く臭うのだから夢だったなんて都合の良い事は考えないが、少なからず深山も動揺してしまったので少し間が空いてしまった。)
……まさか、アレが冗談で、作り物でしたァ、なんて訳じゃないだろうし。
恐らく誰かが持っていったんだろうね。僕らみたいに彼女をそのままにしておけなかった人がいたんでしょ。
まァ…でも…折角持って来たしかけておこうか。
(多少肉片は残っているし、シーツに血が滲んだとしても何もしないよりはいいんじゃないかと思い。)
あの遺体を運ぶとなると、結構な重労働になる。女の子一人であっても、40~60㎏の重さを運び出すのは困難なはずだ。ちらほらといた男性陣を思い起こしつつ、同意をするように頷いた。
「そうだね、掃除するにしてももうこびりついてるし、おおっちゃった方がいいみたい」
袋からシーツを出して、ばさばさと広げる。完全に乾きつつある血痕の上にばさりと自分もシーツを被せた。
キミさ……、結構はっきり言うよねェ。
最初に会った時に怖いって言ってたから、てっきり怖がりなのかと思ったけど、そうじゃないみたい。
(彼の見た目とのギャップだろうか。こびりつく、とドストレートに表現された事に僅かながら意表を突かれて苦笑混じりに言葉を紡ぎ、「褒めてるよ?」と付け足す。言葉通り嫌な意味ではなく自分よりも余程確りしているな、という印象を彼に抱いた。
自分の分と、早川の分。二枚のシーツが綺麗に重なり残った血などはすっかりと覆われた。満足そうに一度吐息を漏らしてから、早川へとゆったり目線を向けて)
うん、これならもう大丈夫でしょ。
さァて……じゃあ後は部屋に戻るだけかな……、僕はここをちょっと見てから帰ろうと思うけれど、キミはどうする?
(なんて問いかけて首を傾げる。寝たい気持ちも強いけれど、以前はさっさとこの部屋を出てしまって全然見ていなかったから、少しだけ回ってみようか、と。)
「えっ、そうかな?うーん、俺の度胸は晩成型だから?」
実感がわかない様子でへらりと笑う。シーツで覆っても血の臭いが残るこの部屋で、笑顔を浮かべるに至れるのも時間が彼にそうする度胸を準備させたからに他ならない。
研修医とはいえ医者だ。人の生死に関わることを仕事とする以上、度胸と言うものは誰しも持つようになる。それをどうやって自分のなかで準備するか、できるかは人それぞれだ。
「俺はもう休むよ。深川くんも、あんまり無理とか、危険なこととかはしないようにね。気を付けて」
心配そうに言って、おやすみ、と挨拶をして踵を返そうとしたが、思い出したように深川の片手を取る。掌を上向けさせて受け皿のようにし、そこにポケットにいれていた市販のキャンディを一つ置いた。
「今日は一日、よくがんばりました!それじゃ、あらためておやすみなさい。またね!」
小さな子供にするように褒めると、手を振りながら大ホールを出ていった。
晩成型度胸って……ふ、ははっ、それ何か強そうなんだけど。それならこの先どんどん強くなっていくって事だねェ。
じゃあ、おやす──え、なに……?飴?
(あんまり聞く事がない言葉に強そうとくすくすと笑い。思えば久々に面白くて笑ったかもしれない、こんなに異常な状況だというのがなんだか変な気分だけれど。
別れの挨拶をしかけたが、振り返った彼に手を取られて困惑の表情をあからさまに浮かべたが、次の瞬間にはそれが不思議そうなものへと変わる。ころんとした感触の飴玉をじいっと見つめてから薄く笑みが浮かび。)
ありがとう。おやすみ、またね。
(飴へのお礼と、心配してくれたことへのお礼、二つの意味で述べれば。片手に確りと飴玉を握り込み、反対の手でひらひらと手を振り返して彼が部屋を出ていくのを見送った。
また会う時まで彼も無事でいてくれたらいい、なんて無意識に思いながら。)
“よくがんばりました”か。
……飴玉せんせー…。
(言われ慣れない言葉が擽ったくて、思わず口に出して呟く。誰も見る事はなかったけれど、深山の表情はどことなくうれしそうなものだった。そのままゆったりとした足取りで、辺りを見て回るために歩き始めた。)
Chapter1 2日目
2日目 ― 深山 真白 → 早川 大空 以下交互
(朝の目覚めはサイアクだった。
聞きたくもないあの音声に起こされたのも、やっぱりこれは夢じゃないんだな、なんてちらりとでも思ってしまった甘えのある自分にも何だか嫌気がさす。
少し落ち着こうと、MAPにのっていた図書室に探索がてら来てみたのはいいのだが……、)
…………、なんだこれ。
(図書室に入った途端、思わずそう口にしてしまう。深山はあからさまに困惑した表情で辺りを見渡した。
きっと、元は整頓された綺麗な部屋であっただろう其処は今や本が所々散らばっていて、なんだか雑然とした雰囲気だった。もしかして…誰かが何かを探したんだろうか……?)
「あれ?深山くんだ!」
散乱した本を驚いた眼差しで見る深山の前に、本棚の影からひょっこりと姿を表した人物がいる。早川だ。手には何冊かの本を持っていて、それを持ったまま深山の元に駆け寄る。
「元気そうで良かった!あのあとちゃんと眠れた?」
イマヌエル・カントの純粋理性批判を片手にしている以外はさしあたって目立った変化もない早川だ。相手の深川も一日二日で目立った変化はないわけだが、やはり友人の元気な姿を見るとほっとすると言うものだ。
………あー……
…なんだ…飴玉せんせーか。
(ちょっと驚いた為にぴくりと肩を揺らしたがその顔を認識すれば昨日会った早川である事に気付き、驚いていた顔はほっとした顔になり。朝から知らない人間と会って体力を使うのも嫌だったから有り難かった。
此方が行く前に、本を手にして駆け寄って来た彼へと、昨日と特に変わりのない様子のまま静かに目線を向けて。)
まぁまぁ……。
椅子で寝てたせいかちょっと体が痛いくらい……て、僕の事はどーだっていいんだけど、キミは眠れたの?何だか小難しい本を持ってるけど…まさか一晩中ここにいたんじゃ……。
(辺りを見回しつつ軋んだ体を鳴らすような動作を見せた後に、疑問を口にしながら首を少し傾げて。彼の手にする本は自身は全く知らない本なので中身なんて想像もつかないが、頭を使いそうな内容だなぁなんて思いつつ。)
「ちゃんとベッドで寝た方が疲れもとれて元気になるよ。俺は元気!」
力瘤を作る仕草を見せるが、服のしたの二の腕にそんなものは存在しない。運命の女神様が筋持久力にステータス値をつぎ込みすぎたので、恐らく彼の腕に立派な力瘤が出来ることはないだろう。
本を指されると、あぁこれ、と視線を向ける。
「散らかってたから片付けてたんだ。踏んで転んだら危ないし」
手にしていたのは哲学書の一つで、医学の道をいく早川も縁遠い代物だ。難しい読み物は医学書でもうお腹一杯!の彼の頭にはそれを読もうとする気持ちは今のところない。
えぇ…片付けェ?
こんな時にそんな事してるなんて、キミお人好しレベルカンストしてるんじゃないの…?
例えば転んだってさ、本人の不注意なんだしキミが気にする事でもないじゃない。あああ…でもキミ医者か…。
(返ってきた言葉に驚いたというか、呆気にとられたというか……そんな感情をもろに出した表情で彼を見返す。
別に散らかっていようが誰が転ぼうがそんなの自己責任でしょ、なんて思いながら───いやいや、うっかり口にも出ていたか。兎に角これだけの量一人で片すなんて重労働もいいところである。
彼の側から少しだけ離れて手近な場所に落ちていた絵本を拾い上げると、ぱらりぱらりとめくりつつ)
……ていうか、こんだけ荒れてたらココなんかあったのかもとか危機感の方が先に立ちそうなもんだけど。気をつけなよ、良い人だけが死んじゃったら目も当てらんないでしょ。……手伝うよ。
(それだけ言えば、ぱたん、と本を閉じて集め始める為に床へと手を伸ばした。)
注意喚起にきょとんとした顔をする辺り、まったく深川の言う通りである。本が落ちていて危ないから片付ける。どうしてそうなったのかを深く考えていないのだ。ただ、散乱したままの本を見て「相当焦ってたんだな」くらいは考えるだろう。そこに血痕があったり、凶器が落ちていたりすれば早川も警戒心を持つだろうが彼の目の前に広がっていたのは床にばらまかれた本だ。
お人好しと言われるのも、危機感をもてと言われるのも良くあることだった。一朝一夕で直らないとは言うものの、ことあるごとに言われ続けて尚、その無防備なお人好しは直らない。そんな早川がこれまで無事でいられたのは、深川のような人達がいるからなのだろう。
手伝いを申し出る深川に、早川は嬉しそうな笑顔を浮かべる。例えるならコーギー。
「ありがとう!一人だと大変だし、高いところは届かないし……すごく頼もしいよ!」
助っ人の登場にやる気を見せると、特に何があるわけでもないが頑張って早く終わらせよう!と意気込んでいる。拾った本をジャンル別の棚に戻しながら、思い出したように早川は尋ねた。
「そうだ!ねぇ深川くん、腕輪のなぞなぞはもう解いた?」
ここにいれば誰でも一度は口にしただろう、ホットな話題だ。答えを打ち込んだからすぐに何か起こると言う訳でもないらしく、かといって何か新しいアナウンスがあるわけでもない。膠着状態が続いていた。
い、いや、ソコまで喜ばなくてもいいってば……、手が空いてて暇なだけなんだからさァ。
(まるでわんこを連想させるように喜ばれてしまうと軽く双眸が丸くなり。こういう対応はあまり慣れていないので、なんとか表情には出さずにいられたが、ふいっと早川から不自然に視線をそらしてしまう。手元にも動揺が伝わってしまい少々忙しなく動かしながら辺りの本を手に取っていき、書棚へと移動して。
そんな中不意に質問を投げかけられて一瞬間が空いたが、)
え……ああ、それなら多分?
昨日の夜……あの後にヒントもらってね、それであの耳障りなアナウンスを何度も何度も聞いて、僕なりに答えは出たつもり。
なーんて言って間違ってたら笑っちゃうけどねェ、キミは?解けたの?
(内容的には全く笑えないのだが、動揺はすっかりおさまり軽い調子で言葉を紡げば。手は休めずに丁寧に、一冊一冊本を書棚へとしまっていく。
最後に聞いてはみたけれど、彼の様子的にもきっと解けているのだろうなぁなんて思いつつ。)
深川も解けたと聞くと、早川はほっとして息を吐いた。自分も深川も、当たっているとは限らないのに安堵の息をこぼしてしまうのは、やはり先刻出会った少女の影響だろう。そんなことはしないだろうと思いつつも、出会って間もない深川に「絶対」の信頼は持てずにいた。心のどこかで、もしかしたら、と思ってしまうのだ。だからこそ深川が、この場所で出会った良き友人が、踏み越えてはならない境界線から遠いところにいてくれたことに安心したのだ。
「うん、俺も人に解き方教えてもらって解いてみたよ。でも何も起こらないからなんか、ちょっとずつ不安になってるって言うか……」
自分自身への疑心暗鬼が、のっそりとかま首を擡げて来たのだ。本当にあれで合っているの?間違っているんじゃない?自分とも他人とも男とも女ともつかない声が囁いてくる。ほんの些細な不安は、時間がたつにつれて別の感情に膨れ上がっていく。こんなに時間があって、待たされているのは、まさか不安をあおるためなのではないだろうか。早川は考え留まって、きっと解けてない人だっている。その人のために時間が残されているんだ。そう思い直した。
そっか、親切な人って結構いるもんだよねェ。
あ、そうなの?僕はまだ入力すらしてないからわからないんだけど、その場では特になんの反応もないんだァ?
入れたらピンポーン、だとかわかりやすく反応してくれたらイイのにねェ。コッチは生死がかかってるのに扉にかざすまで結果がわからない、なんてほんと悪趣味極まれりだよ。
(てっきりすぐにドカンかと思えば今だに新しく何かを言われる事もない。意外と猶予があって始めの非人道的なインパクトに比べれば随分と良心的──なんて思うはずもなく。逆にじわじわと嬲るように此方の反応を見られているみたいで嫌な気分だ。
本棚へと戻していく作業を淡々と続けながら。)
ま、今回の問題は皆で協力しあってるんだし、大丈夫なんじゃない、……………?
なんだ、これ。
(流れに合わせ励ますような言葉を吐いたところで、ふと、逆さまになっていた本を直そうと抜き取った手が止まる。奥になんだか写真のようなものが見えて。)
「そうだったんだ!時間には気を付けてね、もし解けてても時間オーバーしちゃったら大変だから」
まだ入力をしてないという深川にそう答え、背伸びをして高いところに本を納める。脚立でもあると便利なのだが、脚立と本を持ち歩いて作業するとそれだけ時間も体力もかかる。まだ手の届く範囲なので、暫くは気合いと根性でつま先立ちをするつもりだった。
そんなこんなで静かな作業音だけが聞こえる状態で手を動かしていたが、何かを見つけたらしい深川に気づくと本棚の影から顔を覗かせて「どうしたの?」と声をかける。
…………?
(もう一冊抜き取ってみれば、そこにあったのはこの場にはそぐわない様な写真。男女の間に子供のいる写真だった。普通に考えれば単なる家族写真のようにも見えるが、それならば何故こんな場所に。これがヒントなのかはわからないけれど、と暫く見つめている内に……自身にもこんな時もあったのだろうか、なんて少々感傷的な、然も全く関係ない方向に思考が飛んでしまい馬鹿馬鹿しいとばかりにくだらない気持ちを振り払い。
さっさと横にある本もさらに三冊程抜き取ると、顔を覗かせた早川へと向けて手招きしてから数歩下がり。)
ほらこっちこっち。ここに写真みたいなものが、ある。ヒントなのかは知らないけど、すごく不自然だね。
態々本を逆にしたのは、もしかしたら誰かさんの親切なのかな。
(場所を示すように写真のある位置を指差してから、述べる。)
呼ばれると素直に応じて駆け寄る。少し背伸びをして棚のなかを覗き込めば確かに早川にもその写真が見えた。ごくごく普通の、記念写真のようだった。本棚が暗いのと体勢が体勢なので背景までは見えなかったが、恐らく家族で撮った写真だというのはわかる。
「ほんとだ。よく見えなかったけど、もしかしたら剥がせないのかもしれないね。だからせめてわかりやすいように逆さまにしてくれたんだ」
親切な人がいるようだ。早川はその事実に少なからず安堵を深めた。まだ見知らぬ人が多いながら、その人たちと協力してやっていかなければならないことも多くなるだろう。なるべく好意的な人物であればと願ってしまうのも、仕方のないことだ。
「ヒントかぁ……それってつまり、俺たちをここに閉じ込めているのが誰かってことでしょう?」
顎に手を当て、考えてみてもわからない。まるで、心当たりがない。ドラマや映画の世界のようだ、というフレーズは浮かぶものの、思春期に流行っていた恋愛ものの映画を物のためしに見てみたぐらいの早川だ。
このような状況で何をするのがセオリーなのか、どういう人物が黒幕で、そこに行き着くまでに大体何をしなくてはならないのか、などというメタ的思考は持っていない。まっさらだ。
「どんな人なんだろうね。どうして俺たちを閉じ込めたり、謎を解かせたりするんだろう」
純粋な疑問が口にされる。それは、早川が初めてこの事件の真髄に対してアプローチをした言葉だ。流されるまま、仕方ないと思うまま、目の前の壁を除去するのとは違う。もっと根本的な問題へ、やっと枝葉を伸ばしたのだ。
どうして……、うーん…。
(悩むような声を上げると見つめていた写真から目を離し、目線を斜め下に下げれば早川へとちらりと目線を遣る。)
もしかしたら何か意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。だってあんなアナウンスだったし……単に僕らが混乱するのを面白がってるだけって感じがするよね。
本当の理由なんて此処を出る時か、実際に会って直接聞いてみないとわかんないんじゃない、それに───、
コレはまだ始まったばかりなんだから。きっと、これから嫌っていう程アクションを起こしてくるんじゃないの。謎の答えが知りたかったら、頑張って生き残るしかないね。
(生き残る、とは深山なりに前向きな言葉である。頭の回転がやや鈍い自分には問題の根幹に手が出せるような推理もまだ満足にはできないだろうと、ここにコレがあるという事はとりあえず記憶しておく事にして。
さて、もう十分眺めただろうと「戻すね。」と声をかけてから本を再び逆向きにして置き直せば。あとは再び淡々と本を片していく、きっと然程時間もかからずに終わるだろう……。)
生き残るしかない。
告げられた言葉はシンプルだった。わかりやすくて、一番難しくて、でも一番大事だ。生存意欲とも呼べるそれを失った人間は弱い。生きることに後ろ向きになるということは、即ち迫り来る死を無防備に受け入れるのと同じだ。
諦めてはいけないのだ。どんな状況になっても。生きることを諦めない、諦めさせない。共に前を向けるような、そんな医者に……そんな人に、早川はなりたくて努力をしてきたのだから。
残酷無慈悲な宣告がされることになることを未だ知らない心は、決意と希望に満ちていた。
「そうだね。うん!そうだ!」
得体の知れない大きな大きな敵。それを認識する漠然とした恐怖に苛まれるかと思った心に活力がみなぎった。張り切って片付けを再開した早川は、心なしか図書室でであった頃よりも生気を宿している。立ち向かうことへの迷いや不安を断ち切り、立ち向かう度胸を得たのだ。
その後は、ここから出たら何をしたいだとか、助かったら一緒にどこどこへ行こうだとか、とりとめのない話をした。整然と片付いた図書室で、写真のあった場所だけが不自然に本が逆立ちしている。それを見て、早川は満足そうに深山へ笑顔を向けるのだった。
(繰り返された言葉を聞き、生気に溢れたような早川の姿を少しだけ眩しそうに見つめた。
ああ、僕にはこんな顔できないなぁ…と。
普段の深山なら誰かとこんなに沢山会話をする事は少ない。異常な状況だという事もあるけれど、きっと彼が話しやすくて何よりこんな偏屈な自分にも話を振ってくれるおかげなのだろう。一緒にどこどこに行こう、だなんて生に然程執着の無い自分は未来に向かう約束なんてするつもり、なかったのに。“うん”と肯定の言葉が口から溢れてしまったのには自分自身が一番驚いていた。
すっかり片付いた図書室を彼と同じように満足気に見渡してから、)
キミも少しは元気が出たようでなにより。
体を動かしたのと、キミが色々と話してくれたおかげで僕もちょっとは息抜きができたかもねェ。それじゃあ、僕は他の部屋も見てくるから。またね。
(彼の明るい表情を見て、此方もつられるかのようにふわりと笑みが自然と浮かんだ。
そうして最後に別れの言葉を口にすると、今度は無意識ではなく、確りと彼の無事を祈りながら図書室を後にした。)
- 最終更新:2018-02-28 21:09:31