我妻隆x廣田

prolog ― 我妻 隆生 → アハト・アーデルハイド 以下交互


「何か浮ついてやがんなぁ…。
これもアレかよ、バレンタインとか何とかって奴の影響か?はー…」

くっだらな。と街中の一角に大々的に拓かれた空間に築かれた公園のド真ん中。
我妻のおじ様は愛すべきガキンチョどもが憩うハズの空間を占拠していた。

例年なら懇意にしているキャバの姉ちゃんとか、手を出した女からそれなりのチョコを稼いで居たのだが、今年は『あの娘』が居る。派手に遊ぶことは出来ず、独り身の寂しさにダイレクトに苛まれていた。御歳31歳、心なしか空気が痛い。

「…滅べクソが。」

散歩するご老人、駆け回る少年少女の暖かな雰囲気を跳ね除けるドス黒い呪詛を振り撒き、まるで独り身中年男性のみが立ち入ることを許された結界のような何かが我妻の周囲に構築されていた。

「スターリングラードになってしまえこんな場所は。
女子力自慢か?え?」

こちらもまた、呪詛を吐きながら本のページを一心不乱に手繰る。
題名は「社会主義神髄」。
幸徳秋水の著した、文字通り社会主義理論の最高水準に当たるとされる著作である。プロレタリアートの冬の始まりと、最期の業火を今に偲ばせる、儚さと寂しさを吟味するには、燦然と若葉の萌ゆるここはあまりに騒がし過ぎた。
何故だろうと呆れ混じりに少年少女を見回して、はっと気付かされた。そう、まったくもって失念していたのだ。今日はバレンタインだかという日だという事を。

「はぁ……全く、もう少し慎みとか密やかな感じとか……ないのか。ないんだなわかった。」

行儀悪くも、まるで電池の切れた人形よろしく、ぷつりと身体を支える見えない糸が途切れて、ベンチに横たわりながら、そんなふうにぼやいた。猿叫みたいな、若い女の子に特有のあの鼓膜を貫かれそうな笑いと、タイミングが意味不明な叫び声は、学生時代からのこの女の大嫌いなものであった。
そんなひねくれ者の気性があったからだろうか。自分より上手の、呆れではなく拒絶に近い外界との真空の隔絶を持つ壮年の男に、おもむろに首を傾け視線を向けると、無意識に呆と見つめていた。

「けっ、どうせこの様子も今日がピークってだけで数日続くんだろ…。
アホくさ……あん?」

崇高なる独り身による独り身の為の空間に閉じ篭る我妻。
なまじ例年は賑やかさの渦中に居ただけあって、突然その輪から外れると苦しい物がある。
その苦痛を薪として、周囲を跳ね除ける邪空間と成していた訳だが…
ある意味当然か、同種の悲哀を帯びた目線は我妻の目にも届いた。

「…なんだい嬢ちゃん、こんな独り身の爺さん見詰めても何も出やしねぇぞ。
野郎にとっちゃチョコ=雄としての価値見たいなモンだ、参加しないのと貰わないのとじゃ天と地程の差があるぜぇ…?」

はははは…、と草枯れた御老人のような声を漏らしつつ、膝に肘を付いて横たわる女を見返す。
直感的にアチラ様も似たような状況下にあることを悟れてしまったのは、もう同族故としか言い様がない。

「ふふ、爺さん、というほどでもないだろうに。あ……こんな格好だが、まあ気にするな。この方が本が読みやすいんだ。」

目を伏せながら、口元を抑えて微笑する。別に笑うところでも何でもないところで笑っているのも実に頓珍漢なものだが、本が読みやすいからとベンチを占領した挙げ句、恥も外聞もなく、無防備にしている辺り、この女を世間一般の物差しで図ろうという自体が間違いなのかもしれない。

「参加意思は毛頭ないが…除け者は除け者さ。貴方と多分同じく。
なんなら、今から買ってこようか?私は目利きが仕事でね。
値打ちが下がるような人間かどうかは見れば大体わかるんだ。」

なんて、大真面目な顔で財布を取り出す。いつも通りすっからかん。残金は300円くらいしかないなんて有様。言った割にはぎりぎりだが、何やら譲れないものがあるようで、これは大変なことだと口元に手を当て頭を捻る。

「…いいや結構。同情で買う物でもねぇだろ?そう言うモンはさ、自分から渡したいと思う人間が現れるまで取っておくブツだと聞く。」

だったらこういうダメ人間にゃ間違っても渡しちゃダメだろ、と。
正直普段から金で遊んでいた様な人間故にどの口が、と言われれば反論の余地はない。
カネの亡者の端くれ、他人に使わせるのにも気が向いてしまうタイプの御人好しでもあった。

「…まぁ気持ちは多分に受け取って置こうかね、それだけでも随分と楽になる。
目利きの良さを謳うなら、軽々と俺みたいなのに財布の紐緩めちゃ駄目だぜ。」

言葉通りそれなりに気分は楽になったのか、座り直し伸びをする。
何分こうしていたか曖昧だったのもあり、腕に巻いた腕時計に目を向ける。まだまだ全然暇だった、自営業の数少ない利点である。

「これは良い。ここで買ってこいと言われたら、私の読みは外れたことになるし、財布の中身が全てなくなるところだった。」

別段、拒否されても悪い気はしなかった。寧ろ、出し抜いたようなつもりさえあった。
これは特に、金の問題ではない。
物質的なものと寧ろ真逆の、精神的な達成感だ。
こんな事には多分靡かないだろうと見越して、それを前提にしていたからこその、計画された過失の喜び、とでも言うべきものだった。普通にしようと思って馬鹿にされたら腹が立つが、馬鹿なことを自分から進んでやって笑われても、時に悪い気分がしないことがある。そんなものと、恐らく体感は等しい。自虐的な喜び、とも言えるだろうか。褒められたものでは無いのだが、それが随分面白いことのように、目を細めながらふふ、と笑い声を漏らしていた。

「そこは、言葉のあやさ。
目利きが良いから、私はこうして参加していないし、その同類に興味を持ったのだというのに。

ああ、そう言えば自己紹介がまだだったか。私は廣田美弥子。
社会科教師をしている公僕だ。
物件としては悪くないぞ。」


<<終了>>

  • 最終更新:2018-02-16 20:31:21

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